休職に至るまでの経緯 7 〜結局退職しました〜 [休職に至るまでの経緯]
結局医者の診断によると、
自分でも気付いていなかった就職してからの5年間に及ぶ不摂生、
残業や徹夜による体の疲れの蓄積により生理が止まり、
そこでホルモンバランスが総崩れし、さらに放っておいて働き続けたために
メンタル面にも影響が出始めてうつになった・・・という事のようです。
大学時代も作品作りに集中して徹夜とかご飯抜きとかしてましたから・・・
トータル9年分のツケを払わされた訳です。あまりに大きかった。
健康に気をつけなさいとはよく言われていたけれど、
まさかこんなカタチで働けなくなるとは。
デザイナーも辞める羽目になるとは・・・。
いいのか悪いのか、デザイナーだった自分への未練が
今のところは全く無いので、特に後悔の念などはないのですが。
数ヶ月前には確かに感じていたあの喪失感と恐怖は
どこにいってしまったんだろう??
休職に至るまでを書くつもりが、「休職〜そして退職まで」になってしまいました。
読んでくださった方々、誠にありがとうございます。
今、体調や精神的なバランスを崩して仕事が苦痛になっている方々へ。
少しでもこのブログが警告やストップをかける役目になれたなら幸いです。
健康が全てじゃないけど、健康じゃないと出来ないことも多いのですから。
皆様、健康にはお気を付けて・・・。
休職に至るまでの経緯 6 [休職に至るまでの経緯]
私がうつ病と診断されたのは、5月の末あたりでした。
薬をもらい、とりあえず一週間会社には休みをもらいました。
仕事を休み、ようやく自分が不眠症にもなっていることに気付きました。
一週間で回復する訳もなくもう一週間休みを延長し、
やはり回復はしなかったので結局その後3ヵ月休職することになりました。
この時の自分には会社を3ヵ月も休むなんてとんでもない!という気持ちがあったので、
いっそ会社を辞めようかとも思ったのですが、重要な決断は今はしない方がいい、
ということだったのでお休みをいただくことにしたのです。
その後・・・結局は会社を辞めることになった訳ですが、
あの当時の最悪の精神状態で決断するよりは、
少しは思考能力がもどった状態で自分なりに悩み考えて出した末の結論として
辞めるという選択が出来たことはよかったと思っています。
休職に至るまでの経緯 5 [休職に至るまでの経緯]
人間の頭はこんなに簡単に狂うのか。
価値観なんてこんな突然変わるのか、と
何とも言えない気持ちで毎日耐えるように生活をしていました。
この頃はもう精神的に限界でした。
朝起きるとき、家を出るとき、電車に乗るとき、降りるとき・・・
何をするにも、相当の覚悟が必要になっていました。
それでも「倒れるまでやるぞ」という気持ちだけでどうにか働いていました。
今思えば、単に中途半端で終わりたくないという
意地みたいなものだったのですが、自分にとっては曲げられないことでした。
生理が来ればきっと、きっとこの落ち込みは無くなるに違いない。
また仕事も楽しくなるに違いないと信じてひたすら生理が来るのを待つ日々でした。
しかし5月になっても生理は来ませんでした。
5月中頃、いつものように重い気持ちで出勤したのですが、
降りる駅に着いたときに体が動かなくなってしまいました。
どうしても足が動かず、電車から降りることができませんでした。
そのまま何駅も通過してしまいました。
突然、「ああ、もう自分は元のようには働けなくなったんだ」と
思い知りました。
気力を振り絞って振り絞って、最後の一滴まで振り絞って、
どうにかしよう、どうにか耐えようと思っていたけれど。
そう思っていたのに、もう体が動かない。
もう駄目なんだ。
もう耐えられないんだ。
ここまでなんだ、と思ったら涙が出ました。
その日は結局大遅刻をしました。
数日後、婦人科の先生に
「生理が来ないのはやはり精神的なものが原因」と言われ、
心療内科を紹介されました。
心療内科の先生には
「うつですね」とズバッと言われました。
頭を殴られたようなショックでした。
本当に、ショックでした。
5月の終わり頃でした。
休職に至るまでの経緯 4 [休職に至るまでの経緯]
眠れないので久々更新・・・。
4月。
おそらくホルモンバランスは最悪の時期だったと思います。
まだうつ病だと診断されていなかったので
精神安定剤の類も無し。
仕事や今まで好きだった事への興味や熱意が
自分の中から失われていくことへの
不安と恐怖と焦りで気が狂いそうでした。
仕事から得ていた喜び、楽しさ、やりがい・・・・
それらが全て苦痛となって跳ね返って来ていることが
信じられませんでした。
普通に仕事している同僚が憎くてたまりませんでした。
同じ思いをすればいいのに。
自分の意志と関係なく、自身の中から何かが失われていく恐怖を
あいつらにも味わらせてやりたい!!と思っていました。
「我慢すれば元に戻るはず」
「死ぬ気で耐えれば数ヶ月後には・・・」
「どうにかなるまでやってやる」
「倒れてるまでやってやれ」
「なんだったら死んでもいい」
・・・と思っていました。
「うつ」だと知らなかったから、この状態を
根性で乗り越えてやろうとしていたんですね。
根性というよりは暴走、といった感じでしたが。
休職に至るまでの経緯 3 [休職に至るまでの経緯]
今思えば、3月ごろにはうつになっていたのだと思います。
でも自分がうつだなんて、全く考えてもいませんでした。
毎日苦しくて苦しくて、ここにきてようやく
「これらは生理が止まったせいかな・・?」と考え出しました。
しかし病院を探す気力と、見知らぬ病院に行く気力が湧かず、
結局婦人科に行ったのは3月の末でした。
検査の結果、女性ホルモンの量に関しては
「閉経後の70歳くらいのお婆ちゃん並」と言われました。
子宮は使われていなかったために収縮してきていました。
とりあえず黄体ホルモンを注射してもらいました。
大抵はこれで生理になるそうなのです。
しかし1週間たっても生理は来なかったため、
もう一度注射をしてもらいました。
「これで2週間様子を見ましょう」と先生に言われ、
こんな精神状態でそんなに待つのか、と
ひどく落ち込んだ記憶があります。
こんな状態でまた仕事を続けるのか・・・・と。
4月中頃になっても生理は来ず、結局ピルを飲むことになりました。
しかし今度は「一ヶ月後には生理が来るはずだから」と
言われたのです。
このときの気持ちといったら・・・・。
様々な事への気力がどんどん失われ、
結果、過食嘔吐は止まりました。
食べる気力が無くなってしまったので。
休職に至るまでの経緯 2 [休職に至るまでの経緯]
3月になると、もう完全に仕事が苦痛になっていました。
毎日気分は重く、悲しい・辛い・消えてしまいたいという気持ちで
いっぱいでした。
ですが、どうしてこんな事になったのか、分かりませんでした。
とにかく辛くて、何も冷静に考えられませんでした。
新しい仕事が入ると、もう窓から飛び降りたい気分でした。
2週間後がプレゼンの仕事なら、「2週間、どうにか我慢しよう・・・」
「2週間後の今頃は、完成してるハズだ」・・・・と、自分をどうにか
励まして仕事をしていました。
そしてこの頃から、過食になりました。
最初は夜中家に帰ったときに、無性に甘いモノが食べたくなって
コンビニでデザートを買ったのがきっかけだったと思います。
それからどんどん量が増えていき、デザートだけだったのがパン、お弁当
などまで買って食べるように・・・。
家に帰った瞬間に何かがプチッと切れる感じなんですよね。
もう自分を全くコントロール出来ませんでした。
過食はそのうち過食嘔吐へと変わりました。
自分でご飯を2合炊いてレトルトカレーなどをかけて食べて、一回吐いて。
それからパンとかお菓子とかデザートを食べて、再び吐いて・・・みたいなことを
毎晩繰り返すようになりました。
ごはん2杯じゃなくて2合でしたからね。
よく胃に入ったモノです・・・・(^_^;)
休職に至るまでの経緯 1 [休職に至るまでの経緯]
広告関係の小さな会社に入社して今年で5年目。
終電、タクシー、徹夜、休日出勤ばかりの日々でしたけど、
苦に思ったことはなかったです。
とにかくデザインすることも、アイディアを出すことも大好きでした。
仕事にやりがいと喜びを感じていました。
身体的には、病気はあまりしない方で風邪で会社を休んだこともなかったです。
生理も、これまで一度も遅れたりしたことすらなかったのですが・・・。
今年の1月、初めて生理が来ないということが起こりました。
しかし体に変調もないので、特に気にしませんでした。
むしろ「楽でいいや」くらいに思っていました。
2月になっても生理は来ませんでしたが、まだ私は
「まあ特に不具合もないからいいか」と気に止めていませんでした。
しかし2月の中頃くらいから、仕事のペースが徐々に落ちてきたのです。
考えがうまく纏まらないのです。
何か考えようとしても、それが形になる前にふっと霧散していくような・・・。
判断力が低下し、どの作業にも今までの倍くらいの時間がかかるようになりました。
「おかしいな」とは思ったのですが、どうしてなのかさっぱり分かりませんでした。
何となく不安で、「単に今やっている仕事と相性が悪くて、
作業が遅くなっているんだろう・・・」と思うようにしていました。
2月が終わる頃には、これは更に悪化していました。
判断力は低下するばかり。
そして何故か訳もなく悲しい、苦しい、重い気持ちになるのです。
体は一日中だるい感じがして、重くてどうにもなりませんでした。